塩のゲシュタルト崩壊

塩おにぎりの徒然日記

Snow Dream

2018年3月25日

Snow Man 単独ライブ

in横浜アリーナ


ついにこの日がやってきた。

Snow Man6人だけのステージ。

前に誰もいない。

自分たちだけで作り上げる、

自分たちがメインのステージ。


一体誰が予想したか。
デビュー前のJrが、単独で横浜アリーナを埋める日が来るなんて。


お知らせメールが届いた時はもちろんとても驚いた。
柄になく、大学で叫んでしまった。

それくらい、「横浜アリーナでの単独公演」なんて夢のまた夢だと思っていたから。

4グループで、次に誰が出ていくのか、それを決める公開オーディションだ、なんて言っている人もいた。
でもそんなのどうでもよかった。
素直に、Jrの1つのグループが横浜アリーナ単独ライブをすることが認められた、その事実が私は嬉しかった。
そして何より、単独公演の日が舘様の誕生日というのがとても嬉しかった。
Snow Manと、Snow Manが大好きなファンのみんなでお祝いできるなんて、と考えるだけで幸せだった。

当落発表の日も、試験前日にも関わらず大学の食堂で発表を待っていた。周りにはジャニーズに興味の無い友だちが「あなたの一大事だから見守る」と言って「絶対当たってるから大丈夫だって!!」と励ましてくれた。

当落発表。


単独公演

第一希望で当選です。


何度も何度も見返した。

単独ライブを一緒に作れるんだ。

舘様の誕生日を一緒にお祝いできるんだ。


神様、本当にありがとう。





そして単独の日。

実を言うとあまり寝れなかった。
それくらい、何故か緊張していた。

お昼頃に会場について、ご飯を食べてもすぐお腹いっぱいになってしまう。

これだけ緊張したのは正直、受験の時ぐらいだったから本当に死にそうだった。

フォロワーさんたちとお会いして、いろんなお話をさせてもらって、徐々に人が集まってくる横浜アリーナ周辺。

ここにいる人たちがみんな、Snow Manを目当てに来ていると考えるだけで本当に死にそうだった。
この時点で泣きそうだった。
それくらい、嬉しかった。


席はまさかのバクステ目の前。
演者が使うスタンバイ用通路が真隣。
もう今日この公演が終わったら死ぬんじゃないか、なんて思っていた。

そして始まったSnow Man 横浜アリーナ単独ライブ。
映像が流れて、マンションにシルエットが映し出され、奈落からZIG ZAG LOVEが流れる中、セリで上がってくるSnow Man6人を見て、涙が溢れた。

前には誰もいない。

自分たちを目当てで来てくれた人たちだけ。

15000人が、みんなが、Snow Manを応援してくれている。

そんな世界が存在するのか、そんな幸せな世界があっていいのか。

そんな世界はあった。
煌めいていた。
15000人が灯すペンライトの波。
Snow Man6人の楽しそうな表情。
全てが最高だった。


セトリは最高。
以前からずっとやっていた曲も、今回初めてやる曲も、なにより流れが素晴らしかった。
まだまだ荒削りな部分はあるかもしれない。
でも、「あれ、この人たちデビューしてたっけ」と錯覚するようなセットリストが、そこにはあった。

2人組で歌う曲も、「え、その組み合わせでいっちゃう?!」なんて組み合わせばかりで、シンメが確立されているSnow Manだけど、それ以外の組み合わせでも無限大の可能性があるんだ、ということを直に感じることが出来た。

あべだての雪解けコンビでのLOVE YOU ONLYも、
翔太さんのつんつん具合が素晴らしかったなべさくのLove so sweetも、
安定のいわふかでのまさかのオレンジも、(中居さん、Snow Manにお年玉渡していただいてありがとうございます)
本当に雪解けしただてさくのチラリズムも、
可愛さが爆発していたいわなべのSexy Zoneも、
同期コンビのあべふかの勇気100%も

どの組み合わせでも違和感を感じさせなかったSnow Manはやっぱり流石だと思った。


お世話になった先輩メドレーでは、阿部くんがすの日常で「予習」しておくように遠まわしに(?)伝えてくれたSPOT LIGHTをはじめ、先輩たちの曲をSnow Manなりにアレンジして披露してくれた。流石Snow Manと言うべきか、こんな表現の仕方もあるのか、なんて勉強になるメドレーだった。

ソロ曲も、安定の曲を選んだ人もいれば、期待を裏切ってきてくれた人もいた。

「舘梨くん」として尊敬してやまない亀梨くんの曲を色気ダダ漏れでお送りしてくれる舘様

まさかのまさかでアンダルシアに憧れてをかっこよく披露し、壁を使った壁宙を披露してくれたひーくん

もはや18番と言っていいほどのヲタ芸をファンのみんなにも全力でさせてくるさっくん

まさかまさかの中山優馬の曲を選曲し、その歌声ですの担の頭ををぶん殴ってきた翔太さん

尊敬する櫻井くんのT.A .B .O .O .を披露し、会場全体を抱いた阿部くん

万を辞して、玉森くんのALIVEでかっこよくキメてきたふっか

6人が6人とも、それぞれの個性を生かして「勝負」してきてくれたことがとても嬉しかった。

MCでも、誰かを下げてウケを狙うのではなく、ただただ仲のいい6人を見れてよかった。
緊張していたのは私たちだけじゃなくて、Snow Manも緊張なんてするんだなぁ、なんて思った。

そして、YouTube用の動画撮影がはじまり、


舘様誕生日サプライズ


会場全体でのお祝いも、タイミングバッチリで、Snow ManとSnow Manファンのみんなで舘様のお祝いができて嬉しかった。

会場入ってから「Snow Manからのお願い」なんてものがスクリーンに流れて、はじめは驚いたけど、先輩たち(主にタキツバ)からサプライズをされ続けたSnow Manがやるサプライズはクオリティーが本当に高くて、メンステに気が向いていない時にメンステにケーキを用意したり、メンステに誘導することで会場のペンラ文字を見やすくすることも、本当にいろんなことをスタッフさんたちと話して決めたんだろうな、と、Snow Manのメンバー愛がひしひしと伝わってきた。

こんな幸せな日ってあるんだな。


亀梨くんからのサプライズ動画も、まさかの翔太さん企画で。

ゆりぐみいいいいいいいいいいいいいいい!!!

尊い。(語彙力亡くなった)


ラストまでの曲順も、盛り上がりは最高で、久々にあんなにテンションがぶち上がるセットリストに出会った。


EXPRODEからのFinally overでテンションは最高潮。



そして。



「僕達からみんなへ、プレゼントです」


「新曲」


「snow dream」



まさかここで新曲を持ってくるなんて。

そして始まった白いペンラの動き。


会場は何も言わなくてもペンラを白くして、その動きに合わせた。

誰も一言も、「白くして」、「真似して」なんて言わなかったのに。


そして始まった新曲。


歌詞にはメンバーの名前が散らばめられていて、

「岩も溶かすほど」
「伊達じゃないんだ」
「決意の深さは」
「渡る世間は」
「あべこべだから」
「咲くまで何度」



そして何より

「涙で滲む約束がまだ 果たせない僕だから」
「もう少しそばにいて もう何度も告げたセリフだね」

「君と描きたい景色がまだ 未完成な間は」
「もう少しそばにいて あと少し」

「涙で滲む約束がまだ 果たせない僕だから」
「もう少しそばにいて もう本当は聞き飽きてるよね」

「その願いはいつか叶えます」
「絶対諦めないよ」


こんな歌詞を聞いて泣かない人がいたら会ってみたい。



大号泣。



阿部くんがこれを歌いながら泣いていた、というレポを読んだ。

大号泣して、目の前がぼやけて何も見えなかったからわからないけど。

でも、あの白いペンライトの波が一つになっている景色は、一生忘れない。


誰に何を言われることもなく、全てを察して、メンバーが望む行動をするすの担。

あの景色をSnow Manに見せてあげられたことが、
あの景色をSnow Manが見せてくれたことがとても嬉しかった。


幸せだった。


最後のふっかの挨拶も、あの優しい声で「Snow Manとファンのみんなの夢、絶対につかむからね。それまでついてきてね。」なんて言われたら、


そりゃ泣くべ。



アンコールでもAcrobaticでイケメンコールをしまくって、声が枯れるまでイケメンにイケメンだと叫びつづけ、

ダブルアンコで音響さんの好きな曲としてZZLが流れてもイケメンコールをして、

ギネス記録になるんじゃないかってくらいイケメンって叫んだ。


イケメンにイケメンだと叫べるあのC&Rは最高だと思う。

最後の最後はみんなが笑顔で、幸せな気持ちで帰ることができる公演にしてくれるSnow Manが好きだ。



あれだけ泣いた公演は今までになかった。

あれだけ幸せな時間を過ごせた公演は今までになかった。


それくらい、メンバー1人1人が、そしてファンのみんなが輝いていたライブだった。



会場一体が白くなり、皆が泣いたあの景色は私の宝物だ。

あの景色を見ることが出来てよかった。


Snow Man、素敵なライブをありがとう。


もう少しそばにいて、なんて言うけど


私はまだまだそばに居るつもりだよ。


だから、みんなが夢見る世界をいつか6人の手で掴んでね。


そしてまた、あの白く光る、素敵な景色を見せてね。

田舎者、遠征する

タイトルのネーミングセンスがないです。誰か私にネーミングセンスをください(切実)


はてなブログなんて私には敷居が高すぎると思っているので、昨日あんな長文を書いたくせにガクブルです。小心者です。


お時間がある、お優しい方はお付き合い頂けると嬉しいです😇






私はいわゆる地方組である。

地方組で、かつ学生という遠征には全く不向きな種類の人間。

そんな私にとって遠征とはどういうものなのか、

一言で言えば、「試練」。


なにがって?


人が多い。


田舎民にとって人の多さは命取り(個人差あり)。

そして何より交通費が馬鹿高い。


大阪に出るのにもまあまあな交通費がかかる。隣の県なのに。

なので、「全ステ!」「多ステ〜」なんてことは無理中の無理。そんなことしてたら交通費だけで赤字。破産である。

じゃあ泊まればいいじゃないかって?


ホテル代、めっちゃ高い(個人差あり)


万年金欠マンの私にとって、「多ステ」するためにはそれなりの決意と覚悟(主にお金の面)が必要だったし、「全ステ」なんて夢のまた夢。


遠征費用がかからない人たちが羨ましかった。


そしてなにより、Jrは主に関東でしか活動しない。

先輩のコンサートのバックに付く以外で関西でお仕事をする関東Jrなんてほぼ絶滅危惧種でしかない。

関西で活動するのは関西ジュニア。

このくくりが私はどうしても嫌だった。




そんな私の初遠征は昨年の話だ。

2017年8月

通称 キントレ のSnow Man公演のために

二度目ましての東京。


都会過ぎた。

どこに何があるかぜんっぜんわかんない。

ほぼ迷子になりかけ。


友人がまだ東京に詳しい子でよかった。

1人だったら確実に迷子になってた。
Google先生とお友達にならなきゃやばかった。

もちろん公演自体は楽しかった。
何ってほぼ初めましてSnow Man。
Snow Manってこんなライブするんだ、
レポはよく読むけど実際行くのとは話が違うなぁ
と思っていた。


そして何より、Snow ManだけでなくTwitterで知り合ったすの担さんたちにも会えた。
一人だけ関西で、ほかは皆関東、なんてことはしょっちゅうあった。

東京の美味しいもの教えてくれたり、お土産これがいいんじゃない?なんて教えてくれた。
(東京バナナ美味しかった)


この人たちは交通費そんなにかからずに見れるのかぁ、いいなぁ

なんて思ったりもした。
自分もそういう体験してみたいなぁ、とも。

夢のまた夢だと思っていた。




ところがどっこい。


2017年、秋

その常識は覆された。


Snow ManとSixTONESが松竹座にくる。



なんなら少年たちliveという訳の分からん公演で、地元に来る。




メールは二度見、いや五度見くらいした。

だってそこには通常ではありえない土地の名前が書いてあった。

見慣れた土地の名前。

住所書く時に書く名前。








……めっちゃ地元やん。








2017年10月11日(水)

自担が我が地元でliveをした。



わかりますかねこの興奮。

あの!Snow Manと!SixTONESが!!

自分もよく立っていた舞台に!!!

よく見に行っていた会場に!!!!

なんなら裏の通路とかもいろいろ把握しているようなところで!!!!

liveをしている……(´;ω;`)


席はその会場で初めての二階席だった。
生まれてこの方この会場の二階席なんて来たことなかった。

それでもよかった。

Twitterの目撃情報とかも笑い転げながら見た。

「まって、そんなところ行ってるのwww」
「え、やっぱそこ行くよね?ちゃんと調べてるんだなぁ」
「たっかいお金払わせて入場してもらっちゃってなんかごめん……天守閣登っても何もないでしょ……」

Twitterで呟かれる目撃情報に、私が鉢合わせることなんてなかったけど、想像するだけで楽しかった。
この場所で、この人たちがこんなことをしていた、
というのがいとも簡単に想像できる。


全てが楽しかった。


自担が自分の地元にくるなんて、もう二度とないと思う。

もし、万が一、来年もまたliveをするならぜひ来て欲しいが。


遠征費用なんてかからないし、実験終わりでも余裕でliveを楽しむことが出来る。


これが都会の人が毎回経験している「遠征費用のかからない現場」なんだなぁとしみじみ思った。



2017年の秋に、初めてSnow Man、SixTONESに会えた地方の学生組はたくさんいると思う。

かく言う私は2度目のSnow Manだったし、初めてのSixTONESだった。

東京での公演は行けない人も沢山いる。

だからこそ、こうして彼らを地方を回らせてくれた事務所には感謝している。

普段会えない人が、彼らに会えた。

それだけで彼らの地方遠征は意味を成したのではないかと思う。

普段関西の現場を見ている関ジュ担の人にも、すのすとが松竹座に来たおかげで広く認知されることになったと思う。

東京だけでお仕事をさせるには惜しい存在、それが今のジャニーズJrだと思う。


だからこそ、今後はもっともっと、大阪での公演、更には地方での公演をやっていってほしいと思った。

そして、普段遠征しないでも公演に行ける人には是非遠征を体験していただきたい。

遠征の楽しさは自担に会えるだけに限らない。
その土地で遊ぶことも楽しかったりする。
その土地の美味しいものを食べて、遊んで、そして自担に会って。
遠征は確かにお金がかかる「試練」だけど、とても楽しい一種の「旅行」だ。

この地方liveでも、その土地に住むファンが「これ美味しいよ」とか、「お土産にこれオススメです!」とか、「ここは是非とも行っていただきたい!!」などなど、地元勢ならではの"観光案内"をしているのをTwitterでよく見かけた。

すの担って平和だなぁ、いいなぁ、と思った瞬間でもある(笑)


遠征は遠征の良さが、地元参戦には地元参戦としての良さがある。

だからこそ、どちらも味わって頂きたい。







祭りはもちろん遠征します。
都会が怖いです。
今度こそ迷子になりそう。


横浜でおすすめの場所、おすすめの食べ物屋さんとかあれば教えてください( )


(これが言いたかっただけではない、きっと)

とあるおにぎりの話

そんなこんなで私は関ジュ担を辞めた。

そして、ジャニオタも辞めた。




辞めたはずだった。
なのに。





ど う し て こ う な っ た









2017年4月某日。

私は、何故かまたジャニオタに逆戻りすることになった。




後に友人は語る。

「普通、沼に沈む時ってちょっとずつ沈むじゃん?」



「あなた思いっきり頭からきっっっれいなフォームで、何のためらいもなく飛び込んでいったよね」





戻り方潔すぎか。







そんな潔い戻り方をした先はSnow Manだった。


私が彼らと出会ったのはもう随分と昔だ。
その頃はまだMis Snow Manと名乗っていた。
でも、応援する気はなかった。
「さなぴーとのんちゃんがいるところ」
そんな認識だった。


いつしか彼らは8人ではなくなっていた。

さなぴーとのんちゃんはnoon boysに、
残った6人は岩本たち、と呼ばれるように。

残酷だなぁ、と他担ながら思った記憶がある。
この時から、私はnoon boysではなく、残された6人のことが心のどこかで気になっていたのだと思う。



そして2012年、最初の転機を迎える。

滝沢歌舞伎2012に、その頃の自担が出演することになった。

でも地方組の私は遠征できず、レポを読み漁り、DVDを購入することで自担を拝むことができている状態だった。


正直に言う。
ごめん。自担と関ジュ以外は眼中になかった。

岩本たち、と呼ばれていた彼らが、この公演でSnow Manという名前をもらったことも知っていた。
でも、「え、Mis 取れただけじゃん」とか思っていた。あの頃の自分バカすぎか。

滝様の化粧シーンで笑いをかっさらっていった黒子さんがまさか今の自担になるなんて、誰が想像した??

「くっそ、あの笑いに貪欲な関ジュが負けてる……、しかも照史おるのに……こいつ、やるな……!!」なんて思ってた。

数年前の自分、その人数年後自担になってるからな。

そんなこんなで、Snow Manとやっと対面(?)を果たし、「東京Jrの中ではSnow Manかなぁ」なんて思いながら、月日は過ぎる。





2013年4月。

あの伝説のドラマが始まる。



そう、あの伝説のジャニーズ深夜ドラマ枠で

中島健人くんが主演を務めた

あの伝説のヤンキードラマ。

BAD BOYS J


アツかった。
1週間遅れの放送とか関係なかった。

全てを持っていかれた。





高間数俊に。




そう、あの広島最強規模を誇るBEASTのNo.2

高間数俊を演じる


森田美勇人に。



ここで私は間違いを犯す。


極楽蝶なんて見てなかった。

知らなかった。

あんなにリアコみ溢れる



中村寿雄という存在に



私は気づかなかったのだ。





まず名前が強かった。
美勇人ってなに??なんて読むの??みゅうと??
は???まじ???字面からしてイケメンじゃん


そしてポンコツなのも強かった。
え、カズさんポンコツなの!?パセリ好きなの??
可愛すぎかよどうしたらいいんだ

気づけば東京Jrでは美勇人推しになっていた。
え?Snow Man??

まあ応援はしてるけどさぁ……

メディアに出ないんだもん。
あ、滝チャンネルは見てたけどね!



この頃の私は知らない。
数週間後、もう1度BBJを見て、カズ立ちに爆笑する日が来るなんてことを。



それからの私は大変忙しい日々を過ごすハメになる。

忙しかったのだ。


推しがコロコロ変わったから。



私はもう一度カズさんを見たいがためにBBJを見直した。


そうするとあら不思議。

あれ?カズ立ちダサくない?


え、ヒサくんイケメンじゃね?


……ヒサくんだな、やっぱり。




発車寸前の電車に猛ダッシュで乗り換えた気分だった。




そんなこんなで何故か私はSnow Manを好きになっていた。

忘れもしない、2013年の暑い夏の日の出来事だった。


Snow Manは沼すぎた。

ハマっちゃダメなやつだった。


気づいた時には遅すぎた。


何を隠そう、私は運動神経がいい人が好きになる傾向にある。

運動神経があまり良くないとわかると冷めるのだ。

元自担もそうだった。

その頃の自担くんのダンスは嫌いだった。


どんくさい。


でもSnow Manは違った。

流石というか、なんというか。

私が好きなタイプのダンスで、なおかつ全員がアクロバットができるときた。


そんなの落ちないわけがない。


更に私は極度のシンメ厨である。

かみしげ、大好き。ツインタワー、大好き。
B.A.D.、大好き。BOYS、大好きだった。

そんなシンメ厨の私からすればすのなんて天国以外の何者でもなかった。

どこを見てもシンメ。

シンメのオンパレード。

シンメの見本市。

更にはみんなの仲がいい。

これは割と私の中では最重要な項目だったが、Snow Manはあっさりこれをクリアした。
流石。


今思えば、私がSnow Manに落ちるのは必然だったのかもしれない。
そう思うほど、私の好きなものが全てそこにつまっていた。



関ジュを応援する傍ら、Snow Manも影で応援していた。地方の学生には遠征は難しかったため、彼らを生で見ることは無かったがそれでも楽しかった。





でも私はジャニオタを卒業した。

後悔はしている。
私が辞めていた期間、Snow Manはもっともっと実力をつけて、人気グループになっていた。
私が大好きだった「少年たち」を任されるほどになっていた。
見に行きたかった。すのすとで作り上げる「少年たち」を。看守役じゃないSnow Manを。

でも過去は過去だ。
今更何を言っても変えられない。

だから、私はこれからのSnow Manを応援する。



そう決めて、2017年4月、私はSnow Man担に戻ってきた。
もちろん担当は、2012年に私から笑いをかっさらっていった、




渡辺翔太くんだ。



私は自分が渡辺担であることに誇りを持っている。
この人を応援できることが嬉しいし、塩対応だなんだの言われているが、私は渡辺くんがジャニーズをしてくれて、なおかつSnow Manにいてくれること自体がファンサだと思っている。

Jr担をやっている以上、退所の恐怖は付きまとう。
でも、「今」を楽しめばそれでいいと思っている。

「やらない後悔より、やって後悔」


自担のこの座右の銘は私の今のモチベーションでもある。
今出来ることをやる。それが私に出来ること。




昔に比べて、Snow Manのメディア露出は多くなった。

今ではSnow Manは少年倶楽部に毎回呼んでもらえている。雑誌にも毎月掲載されている。

嬉しいことだ。

でも、これに甘えてはいけない。
もっともっと、世間の人に認知される必要がある。

だから私たちが売り込む必要がある。
声を上げる必要がある。




この先、彼らはデビューするかもしれない。



そうなったら、私は彼らを応援し続けられるかわからない。



前科があるから。



でも今は自信を持って言える。





私はSnow Manが大好きだ。


もう1度、ジャニオタに戻れて、


もう1度、Snow Manを好きになれてよかった。


彼らがアイドルをやってくれていることは当たり前ではない。

いつ、辞めてしまうかわからない。

「映画があるから大丈夫」

それはあてにならないと私は知っている。


だからこそ、Snow ManがSnow Manでいてくれる事に感謝して、Snow Manのためならいろんなことをやりたい。


Snow Manのためにできること。

それは声を上げること。

一人ができることは少ない。

でも、何人かで力を合わせれば出来ることだってたくさんある。

それを信じて、やれることをやりたい。




まずは、

横浜アリーナ単独おめでとう。

これがスタート地点。

これから先、もっといろんな景色を見てもらえるように。

もっといろんな景色を一緒に見られるように。


1おにぎりとして、応援していきたい。

あるWESTlyの話

私は元関ジュ担だった。
正確に言えば、元ジャス民でもあった。
応援することを諦めてしまった、情けない、「元」。

彼らがデビューしてからもうすぐ4年となる。
彼らをなぜ応援し始めたのか、何故応援することを諦めてしまったのか。
もう1度自分を見つめ直し、もう二度と「諦めない」ためにも、つらつらと書き出したいと思う。



私は元々エイターだった。
と言っても2年ほどだったが。
関ジャニ∞のあのわちゃわちゃ感、家族感、そして何より「関西が好き!」という彼らのスタイルが大好きだった。
そうなると、コンサートなどで後ろにいるメンバーが気になるのは至極当然で。
関西ジャニーズJrのことを知れば知るほど、彼らを応援したい!と思う気持ちは強まり、気づけばいとも簡単に担降りしていた。
2010年の春のことだった。

そこからはひたすら関西ジャニーズJrを応援していた。
ちょうど私が担降りした頃は、7WEST、B.A.D.、BOYS、Veteran……と、関ジュが全体的にギラギラし始めた頃だった。私は誰がなんと言おうとあの頃が関ジュ黄金期だと思っている。
まだ松竹座でうちわが持てた時代。
こんなに楽しい現場は今までになかったと思っていた。それほどに、彼らが作るステージはキラキラしていて、「デビューしてやる」というギラギラ感が強かった。

だがそこからは苦難の日々が続いた。
いくら大阪で公演をしてくれていると言っても、私はまだ所詮義務教育過程の学生だった。
隣の県と言えど、大阪なんて簡単に行ける距離じゃない、そう思うくらいには田舎に住んでいた。
公演を見に行けるのは長期休暇。
動いている彼らに会うことは容易いことではなかった。
それでも私は十分だった。
でも、知らない間に1人、また1人と退所が噂されていった。
主軸となっていたメンバーが抜け、それでも必死にファンのために、そして後輩達のために頑張ってくれていた兄組を見て、感謝の気持ちでいっぱいだった。
私はまだ恵まれていた方だ。
自担のいるグループからは退所するメンバーはおらず、このままこの6人でデビュー出来るんじゃないかと、甘い夢を見ていたのだ。そう、甘すぎる夢を。




自担のいるグループのメンバーが退所した。




それは突然だった。
安心しきっていた。映画もやって、そのDVDも発売が予定されている。だから辞めない。

そんなことはなかった。

6人いたはずのメンバーが、気づけば4人に。

どのドル誌を見てもいない。

嘘だと思いたかった。


でも、本人がTwitterを開設した。
「あぁ、本当に辞めてしまったんだな」
そう思うしかなかった。

退所後に発売された映画のDVDの本編に、彼らはいた。
でもパッケージは急いで作られたと思うような簡易的なコラージュのもの。
彼らはどこにも写っていなかった。

それでも、応援することは辞めなかった。
自担は残ってくれていた。
新しい世代も入ってきて、黄金期を支えた人たちが関ジュの基盤となって、みんなを引っ張ってくれている、それだけで十分だった。


でも、再び試練はやってくる。


2014年1月1日。
前日深夜から放送されていた「ジャニーズカウントダウンコンサート」、通称「カウコン」を私は家で見ていた。
今年も関ジュ呼ばれてるかな?と、今思えば馬鹿みたいなことを考えながら。

そしてその瞬間は訪れる。



関ジュのデビューが決まった。



それは喜ばしいことであった。
私も例外なく浮かれた。
でも何かがおかしい。
それはその後、嫌というほど実感する。



メンバーが選抜されている。


選ばれたのは桐山、中間、重岡、小瀧。

どうして?
どうして7WESTをバラバラにした?
バラバラにする必要がどこにある?
そして何より、

濵田くんは?
(最初に言っておくが、私は濵田担ではない)


7WESTをバラバラにしたことも許せなかった。
どうして重岡と小瀧だけが選ばれたのかも分からなかった。実力がなかった?いや違う。実力なら確実に神山くんの方が上だと私は思っていた。

そして何より、どうして彼を1人にするのか。
相棒を失い、1人でいた濵田くん。
どうしてそんな彼を1人にしてしまうのか。


私が最初に感じた違和感は、デビューすることを望んでいたはずで、そのデビューを勝ち取った4人の顔がいつもと違ったからだ。
心からの笑顔じゃない。
あんな笑顔、笑顔なんて言わない。
嬉しそうなんかじゃなかった。
それが唯一の救いだった。
「彼らもこのデビューは不服なんだ」、と。


友人のジャニオタたちからは祝福のLINEがたくさん来ていた。彼女達は私の担当が誰で、彼がデビューする「ジャニーズWEST4」に選抜されていたことを知っていたからだ。

でも私は嬉しくなかった。
こんな結果なら、デビューなんてして欲しくなかった。


そして迎えたあけおめコン。
正直な話、ちゃんと覚えていない。
楽しもうと思っていた。これが彼らにとって最後の"Jrとしての"公演になるから。
目に焼き付けようと思っていた。
でもダメだった。
見れば見るほど、楽しめなくなる自分が情けなくなっていた。



ジャニーズWEST4だったグループ名も、ジャニーズWESTになった。相変わらずネーミングセンスねぇなと心の隅では思ってた。
でももしかしたら、メンバー増員がありえるかもしれない!
そんな期待を持ちながら、毎日過ごしていた。


2月5日。
その日がやってきた。
メンバーが7人になった。

泣いて喜んだ。
これで誰も離れずにデビューできる。
なんのしがらみもなく、心から応援できる。
もう誰も、傷つかなくて済む。

デビューが決まって、ファンをこれだけ泣かせたグループはないと思う。
だからこそ、最後まで応援し続けたい、何があってもこの人たちについて行きたいと思っていた。




思えていたはずだった。



もしかすると、この時点で私の心は彼らから離れていたのかもしれない。


それからはあっという間だった。

初主演舞台が何故か東京でのみ行われた。
デビューするってことはこういうことなんか、と思った。いつか関西を捨てる日が来るんだろうな、とも。

デビューシングルはちゃんと購入した。
何度も聞いた。
Mステも何度も何度も見た。
これがデビューすることなんだって、嬉しかった。

でもその頃から少しずつ、自分の中で違和感を感じ始めていた。


自担がかっこよくない。




え?そんなこと?と思うかもしれない。
だがしかし、わたしにとっては大問題だった。

歌い方もなんだか変になった気がするし、踊り方も、どんくさい気がしてならなくなった。
何より、「え、そこでその顔する?」という様なタイミングで曲に合わない顔をする。
歌っている姿を見ていられないほどになった。


歯車が狂い出した。


それでも、彼らのためにと思ってシングルやアルバムは購入していた。

だが、一度狂ってしまった歯車は止められず。



2014年10月15日。
私は"WESTly" 、そして "赤色ジャス民" を辞めることを決意した。


4年半応援し続けてきた彼らの応援を、




諦めた。




同時に、一度全てのジャニ沼から上がることを決意した。
関ジュと並行して応援していた東京Jrの応援も一度やめようと。

今思えば、なぜ担降りにしなかったのか謎でしかない。
でも他のメンバーに担降りするか、ずっと陰ながら応援していた東京Jrに降りるか、1週間考え抜いた。
自分なりに一区切りを付けようと思って考えた結果。






ジャニーズWEST セカンドシングル発売の1週間後、






私はジャニオタを辞めた。