塩のゲシュタルト崩壊

塩おにぎりの徒然日記

とあるおにぎりの話

そんなこんなで私は関ジュ担を辞めた。

そして、ジャニオタも辞めた。




辞めたはずだった。
なのに。





ど う し て こ う な っ た









2017年4月某日。

私は、何故かまたジャニオタに逆戻りすることになった。




後に友人は語る。

「普通、沼に沈む時ってちょっとずつ沈むじゃん?」



「あなた思いっきり頭からきっっっれいなフォームで、何のためらいもなく飛び込んでいったよね」





戻り方潔すぎか。







そんな潔い戻り方をした先はSnow Manだった。


私が彼らと出会ったのはもう随分と昔だ。
その頃はまだMis Snow Manと名乗っていた。
でも、応援する気はなかった。
「さなぴーとのんちゃんがいるところ」
そんな認識だった。


いつしか彼らは8人ではなくなっていた。

さなぴーとのんちゃんはnoon boysに、
残った6人は岩本たち、と呼ばれるように。

残酷だなぁ、と他担ながら思った記憶がある。
この時から、私はnoon boysではなく、残された6人のことが心のどこかで気になっていたのだと思う。



そして2012年、最初の転機を迎える。

滝沢歌舞伎2012に、その頃の自担が出演することになった。

でも地方組の私は遠征できず、レポを読み漁り、DVDを購入することで自担を拝むことができている状態だった。


正直に言う。
ごめん。自担と関ジュ以外は眼中になかった。

岩本たち、と呼ばれていた彼らが、この公演でSnow Manという名前をもらったことも知っていた。
でも、「え、Mis 取れただけじゃん」とか思っていた。あの頃の自分バカすぎか。

滝様の化粧シーンで笑いをかっさらっていった黒子さんがまさか今の自担になるなんて、誰が想像した??

「くっそ、あの笑いに貪欲な関ジュが負けてる……、しかも照史おるのに……こいつ、やるな……!!」なんて思ってた。

数年前の自分、その人数年後自担になってるからな。

そんなこんなで、Snow Manとやっと対面(?)を果たし、「東京Jrの中ではSnow Manかなぁ」なんて思いながら、月日は過ぎる。





2013年4月。

あの伝説のドラマが始まる。



そう、あの伝説のジャニーズ深夜ドラマ枠で

中島健人くんが主演を務めた

あの伝説のヤンキードラマ。

BAD BOYS J


アツかった。
1週間遅れの放送とか関係なかった。

全てを持っていかれた。





高間数俊に。




そう、あの広島最強規模を誇るBEASTのNo.2

高間数俊を演じる


森田美勇人に。



ここで私は間違いを犯す。


極楽蝶なんて見てなかった。

知らなかった。

あんなにリアコみ溢れる



中村寿雄という存在に



私は気づかなかったのだ。





まず名前が強かった。
美勇人ってなに??なんて読むの??みゅうと??
は???まじ???字面からしてイケメンじゃん


そしてポンコツなのも強かった。
え、カズさんポンコツなの!?パセリ好きなの??
可愛すぎかよどうしたらいいんだ

気づけば東京Jrでは美勇人推しになっていた。
え?Snow Man??

まあ応援はしてるけどさぁ……

メディアに出ないんだもん。
あ、滝チャンネルは見てたけどね!



この頃の私は知らない。
数週間後、もう1度BBJを見て、カズ立ちに爆笑する日が来るなんてことを。



それからの私は大変忙しい日々を過ごすハメになる。

忙しかったのだ。


推しがコロコロ変わったから。



私はもう一度カズさんを見たいがためにBBJを見直した。


そうするとあら不思議。

あれ?カズ立ちダサくない?


え、ヒサくんイケメンじゃね?


……ヒサくんだな、やっぱり。




発車寸前の電車に猛ダッシュで乗り換えた気分だった。




そんなこんなで何故か私はSnow Manを好きになっていた。

忘れもしない、2013年の暑い夏の日の出来事だった。


Snow Manは沼すぎた。

ハマっちゃダメなやつだった。


気づいた時には遅すぎた。


何を隠そう、私は運動神経がいい人が好きになる傾向にある。

運動神経があまり良くないとわかると冷めるのだ。

元自担もそうだった。

その頃の自担くんのダンスは嫌いだった。


どんくさい。


でもSnow Manは違った。

流石というか、なんというか。

私が好きなタイプのダンスで、なおかつ全員がアクロバットができるときた。


そんなの落ちないわけがない。


更に私は極度のシンメ厨である。

かみしげ、大好き。ツインタワー、大好き。
B.A.D.、大好き。BOYS、大好きだった。

そんなシンメ厨の私からすればすのなんて天国以外の何者でもなかった。

どこを見てもシンメ。

シンメのオンパレード。

シンメの見本市。

更にはみんなの仲がいい。

これは割と私の中では最重要な項目だったが、Snow Manはあっさりこれをクリアした。
流石。


今思えば、私がSnow Manに落ちるのは必然だったのかもしれない。
そう思うほど、私の好きなものが全てそこにつまっていた。



関ジュを応援する傍ら、Snow Manも影で応援していた。地方の学生には遠征は難しかったため、彼らを生で見ることは無かったがそれでも楽しかった。





でも私はジャニオタを卒業した。

後悔はしている。
私が辞めていた期間、Snow Manはもっともっと実力をつけて、人気グループになっていた。
私が大好きだった「少年たち」を任されるほどになっていた。
見に行きたかった。すのすとで作り上げる「少年たち」を。看守役じゃないSnow Manを。

でも過去は過去だ。
今更何を言っても変えられない。

だから、私はこれからのSnow Manを応援する。



そう決めて、2017年4月、私はSnow Man担に戻ってきた。
もちろん担当は、2012年に私から笑いをかっさらっていった、




渡辺翔太くんだ。



私は自分が渡辺担であることに誇りを持っている。
この人を応援できることが嬉しいし、塩対応だなんだの言われているが、私は渡辺くんがジャニーズをしてくれて、なおかつSnow Manにいてくれること自体がファンサだと思っている。

Jr担をやっている以上、退所の恐怖は付きまとう。
でも、「今」を楽しめばそれでいいと思っている。

「やらない後悔より、やって後悔」


自担のこの座右の銘は私の今のモチベーションでもある。
今出来ることをやる。それが私に出来ること。




昔に比べて、Snow Manのメディア露出は多くなった。

今ではSnow Manは少年倶楽部に毎回呼んでもらえている。雑誌にも毎月掲載されている。

嬉しいことだ。

でも、これに甘えてはいけない。
もっともっと、世間の人に認知される必要がある。

だから私たちが売り込む必要がある。
声を上げる必要がある。




この先、彼らはデビューするかもしれない。



そうなったら、私は彼らを応援し続けられるかわからない。



前科があるから。



でも今は自信を持って言える。





私はSnow Manが大好きだ。


もう1度、ジャニオタに戻れて、


もう1度、Snow Manを好きになれてよかった。


彼らがアイドルをやってくれていることは当たり前ではない。

いつ、辞めてしまうかわからない。

「映画があるから大丈夫」

それはあてにならないと私は知っている。


だからこそ、Snow ManがSnow Manでいてくれる事に感謝して、Snow Manのためならいろんなことをやりたい。


Snow Manのためにできること。

それは声を上げること。

一人ができることは少ない。

でも、何人かで力を合わせれば出来ることだってたくさんある。

それを信じて、やれることをやりたい。




まずは、

横浜アリーナ単独おめでとう。

これがスタート地点。

これから先、もっといろんな景色を見てもらえるように。

もっといろんな景色を一緒に見られるように。


1おにぎりとして、応援していきたい。