塩のゲシュタルト崩壊

塩おにぎりの徒然日記

あるWESTlyの話

私は元関ジュ担だった。
正確に言えば、元ジャス民でもあった。
応援することを諦めてしまった、情けない、「元」。

彼らがデビューしてからもうすぐ4年となる。
彼らをなぜ応援し始めたのか、何故応援することを諦めてしまったのか。
もう1度自分を見つめ直し、もう二度と「諦めない」ためにも、つらつらと書き出したいと思う。



私は元々エイターだった。
と言っても2年ほどだったが。
関ジャニ∞のあのわちゃわちゃ感、家族感、そして何より「関西が好き!」という彼らのスタイルが大好きだった。
そうなると、コンサートなどで後ろにいるメンバーが気になるのは至極当然で。
関西ジャニーズJrのことを知れば知るほど、彼らを応援したい!と思う気持ちは強まり、気づけばいとも簡単に担降りしていた。
2010年の春のことだった。

そこからはひたすら関西ジャニーズJrを応援していた。
ちょうど私が担降りした頃は、7WEST、B.A.D.、BOYS、Veteran……と、関ジュが全体的にギラギラし始めた頃だった。私は誰がなんと言おうとあの頃が関ジュ黄金期だと思っている。
まだ松竹座でうちわが持てた時代。
こんなに楽しい現場は今までになかったと思っていた。それほどに、彼らが作るステージはキラキラしていて、「デビューしてやる」というギラギラ感が強かった。

だがそこからは苦難の日々が続いた。
いくら大阪で公演をしてくれていると言っても、私はまだ所詮義務教育過程の学生だった。
隣の県と言えど、大阪なんて簡単に行ける距離じゃない、そう思うくらいには田舎に住んでいた。
公演を見に行けるのは長期休暇。
動いている彼らに会うことは容易いことではなかった。
それでも私は十分だった。
でも、知らない間に1人、また1人と退所が噂されていった。
主軸となっていたメンバーが抜け、それでも必死にファンのために、そして後輩達のために頑張ってくれていた兄組を見て、感謝の気持ちでいっぱいだった。
私はまだ恵まれていた方だ。
自担のいるグループからは退所するメンバーはおらず、このままこの6人でデビュー出来るんじゃないかと、甘い夢を見ていたのだ。そう、甘すぎる夢を。




自担のいるグループのメンバーが退所した。




それは突然だった。
安心しきっていた。映画もやって、そのDVDも発売が予定されている。だから辞めない。

そんなことはなかった。

6人いたはずのメンバーが、気づけば4人に。

どのドル誌を見てもいない。

嘘だと思いたかった。


でも、本人がTwitterを開設した。
「あぁ、本当に辞めてしまったんだな」
そう思うしかなかった。

退所後に発売された映画のDVDの本編に、彼らはいた。
でもパッケージは急いで作られたと思うような簡易的なコラージュのもの。
彼らはどこにも写っていなかった。

それでも、応援することは辞めなかった。
自担は残ってくれていた。
新しい世代も入ってきて、黄金期を支えた人たちが関ジュの基盤となって、みんなを引っ張ってくれている、それだけで十分だった。


でも、再び試練はやってくる。


2014年1月1日。
前日深夜から放送されていた「ジャニーズカウントダウンコンサート」、通称「カウコン」を私は家で見ていた。
今年も関ジュ呼ばれてるかな?と、今思えば馬鹿みたいなことを考えながら。

そしてその瞬間は訪れる。



関ジュのデビューが決まった。



それは喜ばしいことであった。
私も例外なく浮かれた。
でも何かがおかしい。
それはその後、嫌というほど実感する。



メンバーが選抜されている。


選ばれたのは桐山、中間、重岡、小瀧。

どうして?
どうして7WESTをバラバラにした?
バラバラにする必要がどこにある?
そして何より、

濵田くんは?
(最初に言っておくが、私は濵田担ではない)


7WESTをバラバラにしたことも許せなかった。
どうして重岡と小瀧だけが選ばれたのかも分からなかった。実力がなかった?いや違う。実力なら確実に神山くんの方が上だと私は思っていた。

そして何より、どうして彼を1人にするのか。
相棒を失い、1人でいた濵田くん。
どうしてそんな彼を1人にしてしまうのか。


私が最初に感じた違和感は、デビューすることを望んでいたはずで、そのデビューを勝ち取った4人の顔がいつもと違ったからだ。
心からの笑顔じゃない。
あんな笑顔、笑顔なんて言わない。
嬉しそうなんかじゃなかった。
それが唯一の救いだった。
「彼らもこのデビューは不服なんだ」、と。


友人のジャニオタたちからは祝福のLINEがたくさん来ていた。彼女達は私の担当が誰で、彼がデビューする「ジャニーズWEST4」に選抜されていたことを知っていたからだ。

でも私は嬉しくなかった。
こんな結果なら、デビューなんてして欲しくなかった。


そして迎えたあけおめコン。
正直な話、ちゃんと覚えていない。
楽しもうと思っていた。これが彼らにとって最後の"Jrとしての"公演になるから。
目に焼き付けようと思っていた。
でもダメだった。
見れば見るほど、楽しめなくなる自分が情けなくなっていた。



ジャニーズWEST4だったグループ名も、ジャニーズWESTになった。相変わらずネーミングセンスねぇなと心の隅では思ってた。
でももしかしたら、メンバー増員がありえるかもしれない!
そんな期待を持ちながら、毎日過ごしていた。


2月5日。
その日がやってきた。
メンバーが7人になった。

泣いて喜んだ。
これで誰も離れずにデビューできる。
なんのしがらみもなく、心から応援できる。
もう誰も、傷つかなくて済む。

デビューが決まって、ファンをこれだけ泣かせたグループはないと思う。
だからこそ、最後まで応援し続けたい、何があってもこの人たちについて行きたいと思っていた。




思えていたはずだった。



もしかすると、この時点で私の心は彼らから離れていたのかもしれない。


それからはあっという間だった。

初主演舞台が何故か東京でのみ行われた。
デビューするってことはこういうことなんか、と思った。いつか関西を捨てる日が来るんだろうな、とも。

デビューシングルはちゃんと購入した。
何度も聞いた。
Mステも何度も何度も見た。
これがデビューすることなんだって、嬉しかった。

でもその頃から少しずつ、自分の中で違和感を感じ始めていた。


自担がかっこよくない。




え?そんなこと?と思うかもしれない。
だがしかし、わたしにとっては大問題だった。

歌い方もなんだか変になった気がするし、踊り方も、どんくさい気がしてならなくなった。
何より、「え、そこでその顔する?」という様なタイミングで曲に合わない顔をする。
歌っている姿を見ていられないほどになった。


歯車が狂い出した。


それでも、彼らのためにと思ってシングルやアルバムは購入していた。

だが、一度狂ってしまった歯車は止められず。



2014年10月15日。
私は"WESTly" 、そして "赤色ジャス民" を辞めることを決意した。


4年半応援し続けてきた彼らの応援を、




諦めた。




同時に、一度全てのジャニ沼から上がることを決意した。
関ジュと並行して応援していた東京Jrの応援も一度やめようと。

今思えば、なぜ担降りにしなかったのか謎でしかない。
でも他のメンバーに担降りするか、ずっと陰ながら応援していた東京Jrに降りるか、1週間考え抜いた。
自分なりに一区切りを付けようと思って考えた結果。






ジャニーズWEST セカンドシングル発売の1週間後、






私はジャニオタを辞めた。